---名栗の伝説---
| ■お社(やしろ)を救った井戸 昔、下名栗中西の諏訪神社は、屋敷神様のような小さなお社であったという。 そしてその小さな社の背後には、根古屋(ねごや)城跡だというお経(きょう)山がそびえている。 そのお経山と前山のあいだを流れ下ってくる和泉入(いずみいり)が、豪雨により大氾濫(だいはんらん)をしたというのだ。 それは幕末以前のことか明治初年のことか、「未年(ひつじどし)の大荒(おおあ)れだった」というだけで、詳しい年号などはわかっていない。 叩きつけるような雨が名栗の奥山に降り、津波のような水が押し寄せてきた。 小さな谷川和泉入は、平常は地表面よりもかなり低いところを流れている。普段では考えられぬまさかの洪水であった。この氾濫が、思いもよらぬ大水害を引き起こしたのである。 水は、南から北東にむかって濁流となり、小さな社や三つの池や、その一帯を押し流してしまう勢いだった。谷川から溢(あふ)れ襲う水は、畑の上まで迫ってきた。村は上を下への大騒ぎとなり半鐘(はんしょう)が乱打され、男たち全員が蓑笠(みのかさ)姿で鳶口(とびぐち)を持ち鍬(くわ)を持って和泉入を見守った。 日暮れてきた。 人々はまんじりともせず夜明けを持った。夜のしじまにドウドウという和泉入の耳をつんざく濁流の音だけが、聞こえていた。 一夜明けて雨はやみ、恐怖の水は引いた。空は眩(まぶ)しいほどに晴れあがっている。 小さな神社はてっきり名栗川まで流され、うず巻く水に呑(の)まれたものと人々は思っていた。それがなんと、もと置かれた社の位置から、30メートルほど下で止まっていたのである。 流されてきた社が止まった先には、釣瓶井戸(つるべいど)があった。その井戸の枠(わく)には、社はしっかりと支えられ難をのがれていたのだった。(その井戸は枠もなく蓋(ふた)がしてあるが、現在もある) 水に押し流された社であったが、水をくむ井戸によって救われたのだ。 それをきっかけにして下名栗村中西の人々は、勇気を持って土砂の後片付け取りかかった。 やがて、次の年となり、夏が来て蝉(せみ)が鳴きだした。諏訪神社の祭りは、八月二十五日に行われる。 この年から、祭りで獅子舞の人たちが飲む水は、社を救った「井戸」の水を飲んだのだと伝えられている。 こうした下名栗中西の諏訪神社の祭りのしきたりは、第二次世界大戦後も数年、昭和二十四年頃までおこなわれていたという。 |